渡月橋の名前の由来と歴史について

渡月橋

嵐山を代表する景色と言えば、渡月橋でしょう。この橋から眺める山々の紅葉を眺めるのは、嵐山観光のハイライトですよね。

この渡月橋、「月が渡る橋」と書きますが、元々は「法輪寺橋」という名前でした。いつから、この様な名前で呼ばれるようになったのでしょうか? そしてなぜ、「渡月橋」と呼ばれるようになったのでしょうか?

そこにはステキな由来がありました。渡月橋の歴史とともに、見て行きましょう。

元々の名前は法輪寺橋

この地にかかる最初の橋は平安時代、嵐山の麓にある法輪寺の中興の祖「道昌(どうしょう)」というお坊さんによってかけられました。この法輪寺に至る橋だったために、「法輪寺橋」と呼ばれていたそうです。

この橋は、現在の渡月橋よりも上流200メートルくらい架けられていたとされています。

渡月橋の名前は、天皇が景色を愛でた感想から

時代を下ること鎌倉時代、亀山天皇が満月の晩にこの地で舟遊びをされました。そこからこの橋を眺め、

「くまなき月の渡るに似る(曇りのない夜空に、満月が橋を渡っていくようである)」と感想を漏らされたことから、渡月橋と呼ばれるようになったと言われています。

渡月橋は何回もかけ直されていた

ご存知の方も多いかと思いますが、渡月橋付近の桂川(大堰川)は昔から洪水になりやすい土地です。洪水により度々橋は流され、また応仁の乱など戦乱でも焼け落ちました。その度に橋はかけ直され、やがて現在の渡月橋の位置に移りました。

今に残る渡月橋の原型となっているのは、江戸時代初期(1606年)に豪商の角倉了以(すみのくらりょうい)によって作られたものです。

現在の渡月橋は昭和の時代にかけられたもの

現在親しまれている渡月橋は、昭和9年(1934年)の6月に架けられたものとなります。

パッと見は木造の橋のように見えますが、欄干の部分のみが木(国産のヒノキ)で作られています。橋の根幹部分は鉄筋コンクリート製となっており、景観と生活橋としての機能性の両立を図っています。

岸から渡月橋を望む

1000年以上もの間、渡月橋は嵐山に住む人々に愛され、根気強くかけ直されてきたのですね。そのおかげで、今日も橋の上から嵐山を愛でることができます。

渡月橋が、ちょっと愛おしくなるお話でした。

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