嵐山の地名の由来って何?

嵐山の地名の由来

「春になると嵐山にたくさんの桜が咲いて、風が吹くと桜吹雪になる。そのさまを見て名づけたのが嵐山」わたしが嵐山に移り住んだ頃、そうタクシーの運転手さんがそう教えて下さいました。

なんと美しい由来でしょうか。わたしはすっかり聴き惚れてしまいました。しかしその後、それはひとつの(しかもそれほど有力でない)説に過ぎないことを知りました。

では、他にどんな説があるのでしょうか?

桜吹雪・紅葉嵐説

まずは、タクシー運転手の方に教えていただいたこちら。春には桜の花びらを、そして秋には紅葉した葉っぱが吹き荒れる景色を見て名付けられたとする説。

アラス山説

現存する日本最古の歴史書である「日本書紀」によると、487年にご神託があり、宇田荒洲田(読み:ウタアラスダ)の地に月読尊を奉ったとされています。ちなみにこの神託によって作られた神社は、嵐山から桂川を少し下った松尾大社近くにある月読神社です。このウタアラスダにある山ということで、「アラス山」となり、「嵐山」となったとする説。

といってもそもそも「ウタアラスダ」とはなんなのか?という疑問が残りますね。

いろいろな書き方があるようですが、一例として「宇田荒洲田」を分解・意訳すると、「宇(良い)田(地)荒洲(中洲・砂州)田(地)」となります。つまり、桂川(大堰川・保津川)の土砂が京都盆地に出たところに貯まってできた、肥沃な大地というような意味です。

太古の昔より山から出てきた桂川(山側は桂川と呼ばず、保津川や大堰川と呼ばれています)は、度々氾濫し人々は悩まされてきました。(数年前も台風によって氾濫していましたよね。)逆に言えば、山の栄養が嵐山・嵯峨野の一体にバラ撒かれて土壌が豊かになりました。

そこに渡来系氏族の秦氏(はたうじ)が堰を築いて治水し、有数の田園地帯にしたのが嵐山が反映する基礎となっています。

大堰川(桂川)の堰
※大堰川(桂川)の堰

嵐が「荒洲」だなんて突拍子もない気もしますが、嵐山近辺を歩いていると、なんとなく納得できるのが面白いところですね。

まさか、嵐山の地名に平安京より遥かに古い歴史があるかもしれないなんて、驚きです。地名にこういった深い歴史を感じさせるのも京都散歩の醍醐味ですね。

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